東京地方裁判所 昭和54年(ワ)1782号 判決 1981年3月20日
原告 小野四郎
原告 小野和子
右両名訴訟代理人弁護士 辻誠
右同 河合怜
右同 福家辰夫
右同 中井真一郎
右同 関智文
被告 興亜火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役 前谷重夫
右訴訟代理人弁護士 宮川光治
右同 水野邦夫
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一当事者双方の求める裁判
一 原告ら
1 被告は原告らに対し、各金七五〇万円および右各金員に対する昭和五四年三月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言を求める。
二 被告
主文と同旨の判決を求める。
第二当事者双方の主張
一 原告らの請求原因
1 保険契約
訴外株式会社小野工務店(以下、小野工務店という。)は、昭和四九年八月二日、被告との間で、小野工務店が所有し、自己のために運行の用に供する自家用自動二輪車(練馬み五〇五三号、以下、本件単車という。)につき、保険期間・昭和四九年八月五日から昭和五一年九月五日までとする自動車損害賠償責任保険(以下、自賠責保険という。)の契約を締結した。
2 事故の発生
(一) 訴外山川純央は、自己の洋服を購入する目的で、小野工務店から本件単車を借受け、昭和五一年六月一五日午後八時五分頃、その後部座席に原告らの長男である小野和広(以下、和広という。)を乗せて本件単車を運転し、東京都新宿区筑土八幡町五番地先交差点を飯田橋方面から牛込柳町方面に向けて走行していたところ、同交差点内において転倒滑走し、折りから、同地点を対面走行していた訴外宮下源治の運転する事業用普通乗用自動車(足立五五あ五五七一号、以下、本件タクシーという。)と接触した。
(二) 右事故により、和広は、肺挫傷・肋骨上腕骨骨折の傷害を受け、その後胸腔内気管内出血を生じ、同日午後一一時三五分死亡した。
3 損害
(一) 逸失利益金二一五三万七一七六円
故和広は、本件事故当時、満一八才(昭和三二年一二月二二日生)の男子であり、日本大学豊山高等学校を昭和五一年三月に卒業したばかりで、未だ定まった職業を有していなかった。そこで、同人は、満六七才に達するまで四九年間稼働し得るものであるところ、生存しておれば、その間少なくとも昭和五〇年度賃金センサス・全国産業計・男子労働者・学歴計・企業規模計の各年令平均給与額である毎月の給与額金一五万〇二〇〇円、年間賞与額等金五六万八四〇〇円の収入があり、生活費にその五〇パーセントを要するので、これを控除し、年五分のライプニッツ方式によりその逸失利益の現価を求めると、金二一五三万七一七六円(金一五万〇二〇〇円×一二月+金五六万八四〇〇円=金二三七万〇八〇〇円、金二三七万〇八〇〇円×〔一-〇・五〕×一八・一六八七=金二一五三万七一七六円)となる。
(二) 慰藉料金一五〇〇万円
(三) 相続
原告らは、いずれも故和広の実父母であり、他に相続人は存在しないので、各自、故和広の逸失利益および慰藉料請求権の二分の一宛を相続によって取得した。
(四) 葬儀費用金八〇万円
原告小野四郎は、故和広の葬儀費用として金八〇万円を支払った。
(五) 弁護士費用金四〇〇万円
被告は、原告らの請求にもかかわらず、なんらの支払いをしないので、原告らは、やむなく本訴を提起し、原告ら訴訟代理人に対し、着手金五〇万円を支払ったほか、金三五〇万円を第一審判決時に支払う約束をした。
4 よって、右訴外山川は、自動車損害賠償保障法(以下、自賠法という。)三条に基づき、原告小野四郎に対し金二一〇六万八五八八円の、原告小野和子に対し金二〇二六万八五八八円の損害賠償責任を負うに至った。
そこで、原告らは被告に対し、自賠法一六条一項に基づき、保険金額の限度において原告ら一人当り各金七五〇万円計金一五〇〇万円の支払いを請求したところ、被告はこの支払いを拒絶したので、本訴を提起した次第である。
二 被告の答弁と抗弁
1 答弁
(一) 請求原因1の事実中、本件単車の所有名義人が小野工務店であり、同工務店が保険契約者であること、その契約年月日、契約期間についての事実、自賠責保険契約締結の事実は認めるが、「自己のために運行の用に供する」との事実は否認する。同2(一)の事実中、右訴外山川が「自己の洋服を購入する目的で」本件単車を運転していたという事実、「小野工務店から借受けた」との事実は否認するが、その余の事実は認める。同2(二)の事実は認める。同3(一)の事実中、故和広の生年月日、年令、性別、学歴、同人が職業を有していなかった事実は認めるが、その余の事実は否認する。同3(二)は争う。同3(三)の事実中、原告らが故和広の実父母であり、他に相続人がいない事実は認める。同3(四)、(五)の各事実は知らない。同4の事実中、被告が保険金の支払いを拒絶したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 故和広は、次のとおり、運行供用者の地位にあったものであり、自賠法三条本文所定の「他人」に該らないものである。
(1) 本件単車は、カワサキ四九年型四九八cc自動二輪車であり、乗車定員は二人で、ダブルシート、長さ二・〇八メートル、幅〇・八三メートル、軸間距離一・四一メートル、エンジン型式は二サイクル三気筒等である。これは、昭和四九年八月頃新車で購入されたものであるが、登録名義は株式会社小野工務店となっていた。ところで、同工務店は、住宅建築業を営む原告小野四郎が代表者の会社である。本件単車は、「オートバイが非常に好き」で、同年七月自動二輪免許をとった和広のために買ってやったもので、和広が専ら乗っており、同人は、買って貰ってから、これを「毎日きれいに手入れをし、勉強のあい間に」乗りまわしていた。
(2) 和広は、昭和五一年三月前記高等学校を卒業し、同年四月から代々木予備校に毎日通い授業をうけていた。右訴外山川は、日本大学文理学部哲学科一年生であったが、和広の高等学校時代の同級生で親友であった。右訴外山川も、ヤマハミニトレGT八〇という自動二輪車を所有していた。右両名は、自動二輪車のツーリングなどをしたりしたことがあり、宇都宮にある右訴外山川の両親宅から高崎観音まで本件単車に二人乗りして、交代でこれを運転して旅行をしたことなどもある。
(3) 本件事故当日午後五時頃、右訴外山川が東京都新宿区早稲田南町二三番地の和広宅へ遊びに行った。そして、右訴外山川は、「メンズクラブ」という雑誌に、気にいった洋服の写真が載っていたので、その服を売っている五番街という店を知っているかと和広に尋ねたら、銀座にあるということであり、どちらともなく誘いあってその店へ行くことになった。本件単車を和広が運転し、右訴外山川がダブルシートの後ろに乗って、同日午後五時半頃和広宅を出た。しかし、銀座の西五番街まで行ったが、店が分らず、間もなく雨が降り出したので、近くの喫茶店で休み、同日午後七時四〇分頃その店を出た。
(4) 当時、まだ雨が降っており、本件単車にかけておいたヘルメットに水がたまっているような状況であった。そして、右両名は、雨のとき、本件単車後部座席に乗ると、「雨水がはねがあがり、いやなので、ジャンケンで運転する人を決める。」ことにし、右訴外山川がジャンケンに勝って本件単車を運転することになり、和広をその後ろに乗せて同人宅へ向った。
(5) 途中、九段下から左折し、飯田橋に出たところ、和広は「違うぞ、こっちだ。」と大久保通り方面を指したので、右訴外山川は、その指示に従って大久保通りに入って進行し、飯田橋から約四〇〇メートル行った前記交差点で本件事故となったのである。
(6) 本件事故当時、降雨中で、路面は滑走し易い状態であるのに、右訴外山川は、時速五〇ないし六〇キロメートルで本件単車を運転し、そのことが一因となって横転滑走し、本件事故に至ったのであるが、和広は右訴外山川にスピードについて注意したことはない。走行中、右両名は話をしたりしていた。
以上、本件単車の所有名義人と和広との関係、本件単車が和広の専用車というべき状況、本件事故当日における具体的運行状況等をみると、和広は、本件単車の便乗者ではなく、右訴外山川とともに、共同ないし共通の目的でこれを交替運転していたものであって、いわゆる真正ないし全部的共同運行供用者の関係にあったものというべきである。したがって、和広は、同条本文所定の「他人」には該当しないものといわなければならない。
2 抗弁
本件事故日は昭和五一年六月一五日であり、原告らの本訴提起は昭和五四年二月二八日であり、右事故日より二年八か月余を経過している。そして、本件事故について、仮に、「保有者の損害賠償の責任が発生し」ているとしても、自賠法一六条一項の被害者の保険会社に対する直接請求権は、同法一九条により「二年を経過したときは時効によって消滅する。」とされているのであり、本件ではすでに右時効が完成し、原告らの本件被害者請求権は消滅している。
よって、被告は、本件第一回口頭弁論期日において、右時効を援用する旨の意思表示をした。
三 抗弁に対する原告らの認否と再抗弁
1 認否
(一) 本件事故日が昭和五一年六月一五日であり、本訴提起の日が昭和五四年二月二八日であることは認める。
(二)(1) しかし、同法一六条一項に基づく本件被害者請求権の消滅時効は、左記のとおり、未だ完成していないものである。すなわち、同条に定める被害者請求権は、自賠法によって創設された全く新しい請求権であり、右請求権について短期消滅時効が採用された理由は、同請求権が被害者に対する早急な損害賠償金の支払いを目的として被害者の便宜のために設けられた制度であるから、長らくこれを行使しない者に対してはこれを認める必要がないというところにある。したがって、被害者が右請求権をひとたび行使すれば、被害者の保険会社に対する直接の損害賠償金(保険金)債権が発生し、保険会社は保険金額の範囲内において被害者に対し保険金(損害賠償金)を支払うべき債務が現実に発生するのであって、その後は同法一九条の短期消滅時効は適用されないものである。いいかえれば、同条は、形成権たる被害者請求権の行使についての期間制限であって、これによって発生した被害者の保険会社に対する損害賠償金(保険金)債権について適用されるものではない。
ところで、原告らは、被告に対し、本訴提起前で、右短期消滅時効期間内である昭和五一年九月一日、訴訟外において被害者請求の方法により保険金の支払いを請求したが、被告は、右訴外山川の刑事裁判の結果が明確となってから請求して欲しい旨の理由を付して同年一二月二四日いったん右請求書を原告らに返却した。このため、原告らは、右刑事事件が確定した昭和五二年九月二〇日ごろの後である同年一〇月一三日に至って再び保険金の請求をしたところ、被告は同年一二月二七日この請求を却下し、支払いを拒絶したものである。このように、原告らは、右短期消滅時効期間内に二度にわたって保険金の請求をしているのであるから、当然右請求によって原告らの被告に対する保険金請求権はすでに発生しており、同請求権は自賠法一九条の時効によって消滅するものでなく、一般の不法行為責任と同様民法七二四条が適用され、あるいは商法六六三条を適用し、被告が保険金の支払いを拒絶したときである同日から三年、または二年間時効の完成はない。
(2) 仮に、そうでないとしても、被告は、前記のとおり、昭和五一年九月一日に行った一回目の原告らの請求に対しては、請求書を原告らに返送し、さらに、昭和五二年一〇月一三日に行った二回目の請求に対しては同年一二月二七日まで慎重に審理してこの支払いを拒絶したものであって、この間は被告の熟慮期間であったというべきである。自賠法一六条が被害者からの保険会社への直接の請求を認める制度の趣旨からみて、少なくとも、保険会社の熟慮期間中は、時効の進行は停止すべきであり、本件においては、昭和五一年九月一日から昭和五二年一二月二七日までは被告の熟慮期間として時効の進行が停止していたものであり、したがって、本訴提起時には時効は完成していないのである。
(3) 仮に、然らずとするも、自賠法一九条に定める時効の進行の始期は、原告らにおいて保険金請求権の存することを知ったときである。すなわち、被告は、昭和五二年一二月二七日、被害者である和広が本件単車に対して運行支配権を有しており、保有者の地位にあったものと判断されるとの理由で、原告らの保険金請求を却下してその支払いを拒絶した。ところで、自賠法三条に基づく共同運行供用者に対する賠償責任を追及することができるか否かについては、最高裁判所第三小法廷昭和五〇年一一月四日判決があり、原告らとしては、被告からの右支払いの拒絶に接し、保険金請求権が存しないのではないかと考えるに至った時期があり、その後公にされた判決例の動向(札幌高等裁判所昭和五二年七月二〇日判決・最高裁判所第三小法廷昭和五三年二月一四日判決)により、本件についても、原告らに保険金請求権があると考えるに至ったものである。このように、原告らとしては、当時、本件の如き共同運行供用者間の自賠法三条に基づく賠償責任の存否、ひいては保険金請求権の存否の判断が極めて困難かつ確定し難い状況のもとにあったもので、保険金請求権のあることを知ったのは昭和五三年に至ってからである。したがって、右請求権の時効はその時から進行するものというべく、本件については未だ右時効は完成していない。少なくとも、被告は、前記のとおり、原告らの最初の前記請求書を返送するに際し、右訴外山川の刑事裁判の結果を待って請求せよとしているのであり、それまでは保険金請求が行われても、その請求権の存否が判断できないものと被告が認めているのであり、右刑事裁判が確定した昭和五二年九月二〇日頃までは本件時効は進行していないというべきである。
(4) 仮に、そうでないとしても、被告は、前記のとおり、原告らの最初の請求日から被告の支払拒絶通知日まで一年三か月間、その過半を自らの保険金支払義務の存否の調査のために費消したものである。しかも、当時、原告らとしては、当時の裁判例の動向からみて、保険金請求権があるか否か極めて判断しにくい状況にあり、これを確知できなかった状態にあったものである。右のような事情のもとにおいて、被告は、原告らの保険金請求を右刑事裁判の確定まで留めておきながら、他方、原告らが右刑事裁判確定後に再度の請求をしたのに対し、本件時効の進行が本件事故発生日から始まる旨主張することは、権利の濫用として到底許されるべきではない。
2 再抗弁
仮に、被告に対する自賠法一六条一項に基づく保険金請求権が時効消滅したとしても、原告らは、左記のとおり民法四二三条に基づき右訴外山川が被告に対して有する保険金請求権を代位行使する。
(一) 右訴外山川は、本件事故により、自賠法三条の保有者として、連帯して、原告小野四郎に対し金二一〇六万八五八八円、原告小野和子に対し金二〇二六万八五八八円の損害賠償義務を負担する。
(二) 被告は、前記のとおり、本件単車につき、右事故発生時を保険期間内として自賠責保険契約を締結していたので、右訴外山川が原告らに対し右損害賠償義務を負担することによって受ける損害を保険金額の範囲内で填補すべき義務がある。
そこで、原告らは、同条により右訴外人に対する右損害賠償請求権を保全するため、右訴外人の被告に対する右保険金請求権を代位行使するものである。
四 再抗弁に対する被告の認否
再抗弁事実中、被告が、本件単車につき右事故発生時を保険期間内として自賠責保険契約を締結していたことは認めるが、その余の事実は否認する。
ところで、自賠法一五条は、「被保険者は、被害者に対する損害賠償額について自己が支払いをした限度においてのみ、保険会社に対して保険金の支払いを請求することができる。」と定めているのであり、支払ったことが前提となっている。したがって、支払われていない本件では、いまだ代位の目的である右訴外人の保険金請求権は発生していないものである(なお、仮に、右訴外人が、後日原告らに支払ったとしても、本件では、前記のとおり、自賠法三条の「他人」性の要件が欠けているから、被告には自賠責保険金の支払義務はない。)。また、自賠法一六条が特に被害者の直接請求権を認め、同法一九条がその短期消滅時効を定めている点からいって、自賠法は、自賠責保険金請求権を被害者が民法四二四条に基づき代位行使するということを容認しないものであることは明らかである。
第三証拠関係《省略》
理由
一 請求原因1の事実中、本件単車の所有名義人が小野工務店であり、同工務店が保険契約者であること、その契約年月日、契約期間についての事実、自賠責保険契約締結の事実、同2(一)の事実中、右訴外山川が「自己の洋服を購入する目的で」本件単車を運転していたとの事実と「小野工務店から借受けた」との事実を除くその余の事実、同2(二)の事実、同3(三)の事実中、原告らが故和広の実父母であり、他に相続人がいない事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 和広の実父母である原告らは、自賠法一六条一項に基づき、保険会社である被告に対し、前記のとおり保険金の請求をするものであるが、右請求は自賠法三条本文に基づく損害賠償請求権の発生を前提とするものであるところ、原告らは、本件単車は右訴外山川が運転していたものであり、和広はこれに同乗していたのであるから、和広は同条本文にいう「他人」に当ると主張し、被告は、和広は右訴外山川とともに本件単車の共同運行供用者であったものであるから、右にいう「他人」に当らないと主張するので、まずこの点につき判断する。
《証拠省略》を総合すると、
1 原告らの実子である和広(本件事故当時満一八才、昭和三二年一二月二二日生)は、昭和五一年三月東京都文京区所在の日本大学付属豊山高等学校を卒業し、同年四月から本件事故当日まで同都渋谷区所在の代々木予備校に通って授業を受けていたものである(ただし、和広の年令・生年月日、学歴については当事者間に争いがない。)こと、他方、訴外山川純央は、本件事故当時、日本大学文理学部哲学科一年に在籍していたが、和広とは右高等学校時代の同級生で、そのころから、屡々、同都新宿区早稲田南町二三番地にある和広宅に遊びにくるなどして、和広とは兄弟のように仲の良い間柄にあったものであること、
2 和広は、かねてから自動二輪車に興味を抱いており、昭和四九年七月頃自動二輪免許を取得したこと、本件単車は、同年八月頃新車で購入(代金約四二万円位)されたが、その登録名義は小野工務店(その代表取締役は原告小野四郎)名となっていた(なお、小野工務店には、その頃、貨物自動車と乗用自動車が各一台あった。)こと、しかし、本件単車は、実質的には同原告が和広のために購入したものであって、和広は、右購入後、しょっちゅうこれ(本件単車の鍵は二つあり、その一つは和広が常に身につけており、他の一つは原告らが保管していた。)を利用し、連日のように本件単車をきれいに手入れし、勉強の合間に和広宅付近を乗り回していたこと、一方、右訴外山川も自動二輪車に関心を持ち、昭和四八年八月二七日自動二輪免許を取得し、ヤマハミニトレGT八〇という自動二輪車(原動機付二種)を所有していたこと、そして、和広と右訴外山川は、本件単車購入後本件事故発生までの間、自動二輪車のツーリングをしたことがあり、また、和広宅から宇都宮所在の右訴外人の両親宅へ、さらに、そこから高崎観音まで本件単車に二人乗りをし、交替でこれを運転して旅行をしたこともあったこと、
3 ところで、本件事故当日の午後五時頃、右訴外山川は、和広宅へ遊びに行った際、「メンズクラブ」という雑誌に、気にいった洋服の写真が載っていたので、和広に対し、「その服を売っている五番街という店を知っているか。」と尋ねたところ、和広より、「そこは銀座にある。」と言われ、どちらともなく、遊びがてらに同店を訪れてみようということになったこと、そこで、和広は、同日午後五時半頃、本件単車のダブルシートの後部座席に右訴外山川を乗せ、これを運転して和広宅を出発し、途中、ゆきつけの石油スタンドに立寄って給油をしたうえ、銀座の「三愛」付近路上まで行って本件単車を停め、右訴外人とともに下車して西五番街を歩きながらこの店を探したが、仲々見つけることができず、間もなく、雨が降り出してきたので、同訴外人と一緒に、近くの喫茶店に入って休んだこと、そして、右両名は、同日午後七時四〇分頃同店を出たけれども、まだ、雨は降り続いており、本件単車にかけておいたヘルメットには雨水がたまっていたこと、右両名は、このような時に本件単車を運転すると、その後部座席に乗っている人に雨水が跳上り、いやな気持になるということを知っていたので、ジャンケンで、どちらがこれを運転するかを決めようということになり、本件単車のそばでジャンケンをした結果、右訴外山川が勝って本件単車を運転することになったこと、そこで、右訴外人は、その頃、和広とともに同人方に帰宅しようと考え、和広を本件単車の後部座席に乗せてこれを運転し、和広宅へ向ったが、途中、九段下を経て飯田橋に出て、交差点で左折進行しようとしたところ、和広が、「違うぞ、こっちだ。」と言って大久保通り方面を指したので、その指示に従い、大久保通りに入って進行し、飯田橋から約四〇〇メートル行った前記交差点(大久保通りは、同交差点を中心として進路左側にへの字型に湾曲していた。)で本件事故に遭遇したこと、ところで、右訴外山川は、本件事故当時、降雨中で、路面が滑走し易い状態であったのに、減速せず、毎時約五〇ないし六〇キロメートルの高速度(制限速度は毎時四〇キロメートル)で同交差点内に進入し、これが要因となって本件事故を発生させたものであるが、この間、本件単車の後部座席に乗っていた和広としては、右訴外人に対し、スピードを落すなどして適切な運転をするよう注意すべき立場にあり、かつ、それが可能であったにもかかわらず、なんらこのような注意をしようとはしなかったこと
が認められ、他にこれを左右するに足る証拠はない。
以上認定にかかる和広と右訴外山川との間柄、本件単車の登録名義人と原告らと和広との関係、本件単車に対する和広の従来からの使用状況、本件事故当日における本件単車の具体的運行状況、ことに、和広と右訴外人とは共通の目的をもって本件単車を交替運転していたこと、本件事故直前に右訴外人が本件単車を運転していたのは、ジャンケンをした結果に過ぎないこと、和広は、右訴外人がこれを運転していた時にも、その後部座席に座ったまま、右訴外人に対し進路についての指示を与えていたこと等を考え合せると、本件事故当時、本件単車を運転していた右訴外山川が運行供用者たる地位にあったことはもちろん、和広も右訴外人と共に運行供用者たる地位にあったものというべきである。そして、和広の本件単車に対する具体的運行支配・利益の程度は、右訴外人のそれと同等のものであったものと認めるのが相当である。
ところで、自賠法三条本文所定の「他人」とは、自己のために自動車を運行の用に供する者及び当該自動車の運転者を除くそれ以外の者をいうことは、すでに最高裁判所の判例の示すところであり、右認定事実に照らすと、和広は同条本文にいう「他人」に該当しないことが明らかである。
そうすると、和広が右にいう「他人」に当ることを前提とする原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当であるからこれを棄却することとし、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 松本朝光)